ato lashの雑記帳

ato lashがいろいろ書くところ

辻野あかりと完璧主義

この記事は、コミックマーケット100にて、とあるサークルの冊子に掲載した記事の改稿版です。

概要
2022年5月27日にスマートフォンゲーム「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」に実装されたストーリーコミュ70話『Sweet Apple on Stage』[2]によって、辻野あかりについて多くのことを知ることができた。
そこで見えてきた性格を、完璧主義という視点を交えて考察した。

はじめに

みなさん、こんにちは。はじめましての方は、はじめまして。
ato lashと申します。
先日(執筆時)、2022年5月27日、「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」に、ストーリーコミュ70話「Sweet Apple on Stage」[2]が追加されました。
自分の担当である「辻野あかり」にフォーカスが当てられたコミュとなっていて、ソロ曲『トキメキは赤くて甘い』も同時に追加されました。

このコミュについての自分の叫びはTogetterにまとめてあるのでいいとして、こんなツイートをみかけました。


あーわかるわ。
というのも、このツイートを見る前に、こんなふせったーを書いていたりしたんですね。
fusetter.com

つまり、私自身が完璧主義(だった)ので、共感していたんですね。
「え?完璧主義って書いてないじゃん。」と思った方もいるでしょうが、後々お話しします。
また、(だった)となっているのは、今は少し違うからですね。このあたりも後でお話しします。

ということで、完璧主義の(だった)私が、辻野あかりを完璧主義という視点から紐解いてみます。
私の経験から話す以上、辻野あかりに関する話と同じ程度、自分語りが入ってしまうことをご了承ください。
私のことなんか聞きたくねえ!って方は、後日、自分語りを極限まで減らした編集版を公開しますので、少しお待ちください…

完璧主義とは

定義

そもそも完璧主義とは、何なのでしょうか?
引用元としてはあまりよろしくないのですが、Wikipediaから引用してみましょう。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは、心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
wikipedia:完璧主義

と、このような感じで、物事において常に完璧を目指す人間のことです。
100点のテストが出題されれば、毎回100点を目指す人ですね。
また、作り出したものは中途半端な状態で提出したり公開したりせず、自分が納得のいくまで完成させてから、やっと世に送り出します。

特徴

では、完璧主義には、具体的にどのような特徴があるのでしょうか。
Hewitt & Flett(1991, pp.457–458)[3]によると、完璧主義(完全主義)は、大きく以下の3つの次元に分けられます。
(日本語訳は、大野木, 中村 & 篠置, 1992, p.167 [5]による。)

自己指向型完璧主義
自分が行うことに対して非現実的で理想的な目標を定める
他者指向型完璧主義
他人に対して非現実的で理想的な目標を求める
期待対応型完璧主義
他者が自分に完璧であることを期待していると感じる

これらをどの程度持っているかは、個人差があるそうです。

以下のメリットとデメリットは、私個人の主観や体験であること(その関連のサイトを読み漁ったのが2年前だったので、参考元が見つけられませんでした。すみません。)と、こちらも個人差は大きいことをご理解ください。

メリット

完璧主義であるメリットは、「自己指向型完璧主義」(あるいは「期待対応型完璧主義」)の場合、とても品質の良いものができ上がるということです。
本人は労力をかけて、少しでもいいものを作り出そうとするので、周りの想定を超えるものを作ります。
私の例だと、勉強や部活動、文化祭まで、すべてでよいものを作ろうと全力を注いでいて、それを褒められたことが多かったです。

デメリット

ただ、デメリットも多いです。

まず、完璧にするためであれば、自己の犠牲をいとわないことです。
「期待対応型完璧主義」の場合、周りの期待に応えなければならないというプレッシャーから、自分の生活などを多少犠牲にしてでも、完璧なものを作り出そうとします。
先ほどの例ですと、文化祭で原稿や動画を作ったときは、自分の勉強を先送りにして未明まで作業したり、場合によっては徹夜したりしていました。

また、やるべきことの開始を遅らせたり、それを後回しにしたりする癖がついていることが多いです。
(ちなみに、これについての研究がありました[4]。)
この傾向は、完璧に進めるためには、労力がかかることを分かっているので、普通の人より行動を開始するハードルが高くなりやすいために起こります。
私もこの癖を持っており、いまだに課題をやるのは、ほぼ締め切り前日か当日です。
この原稿を締め切り日に執筆しています。
(なお無事、締め切りには数時間程度遅れました。)

そして、自分にできなさそうなことを、できない理由をつけて回避する傾向にあります。
「自己指向型完璧主義」の場合、こうすることで、完璧にできなかったときに自分のプライドが傷つくのを回避しようとします。
これが、冒頭で紹介したツイートへの∀NSWERです。
私が共感したのは、少し変わった完璧主義ではなく、そのタイプの完璧主義もいるということだったんですね。
なお、これは自衛反応の1つだと考えています。

さらに、自己肯定感が低くなるとも考えています。
前述の通り、自分が追い求めている理想が高くなる傾向になるので、それが達成されることはあまりありません。
すると、成功体験が少なくなり、自己を肯定する材料がなくなってしまいます。
しかし、前項でお話しした通り、すでに高い成果を出していることが多いので、それを他者から気づかされることはあります。

最後に、職場等で、他者との人間関係を悪くするかもしれないことです。
「他者指向型完璧主義」の場合、他の人のことも自分の高い基準で評価してしまいます。
これは、「自分は普段この基準を求めているから他者もそうだろう」という考え方から、起こると考えています。
こうして相手を肯定することが少なくなってしまうと、相手に肯定してもらえないことへの不満を抱かせてしまい、相手との関係が悪くなってしまうことがあります。
実際、私も「あ、やってしまったな」と思うことが、度々ありました。

形成要因

それでは、完璧主義はどこから生まれるのでしょうか。
その要因の1つと言われているのが、家庭環境が厳しいことです。
幼少期の頃、何かに失敗して親に厳しく怒られることを、繰り返し経験するうちに、間違いや失敗に対して、トラウマを持つようになります。
そうすると、そのトラウマを回避するためには完璧であればよい、という思考に到達します。
これが、完璧主義のはじまりの1つのパターンです。完璧主義になるのは、ある種の自衛反応の1つだといえます。

このようにして、間違いや失敗にトラウマを持っていると、親だけではなく周りの雰囲気を気にして生きていくようになっていき、「失敗したくない」「他者に迷惑をかけたくない」という考えを持つようになります。
これが自分の感情を表現することや、自分の苦しさや悩みを、他者に話したり相談したりすることができない理由の1つでもあります。

もう1つの理由は、完璧な人間として見られたいというプライドから、自分の弱みや失敗、間違いを見せたくないという思考が働くことです。
この状態が続くと、感情を抑えることがデフォルトになっていき、自分の感情や自分が何をしたいのかが、分からなくなっていきます。
私の場合は、これに似た要因で、冒頭のふせったーのようになったと考えています。

また、完璧主義とは関係ないかもしれませんが、このような背景を持っている人は、他者のために何かをするのは得意でも、自分のために何かをするという感覚があまりないのではないかと考えています。
これも、自己肯定感の低さにつながると考えています。

辻野あかりの場合

それでは、辻野あかりの場合を見ていきましょう。

諦観

まず、「ダメなものはダメ」という、辻野あかりの性格です。
SNS上では、「諦観」という言葉が使われていたので、本稿でも使わせていただきます。
これが表れているシーンが、「育てたりんごも、台風がきたらダメになる」や、コミュの最初でラーメンが売り切れになっていても次のお店にシフトするシーン、ソロLIVEのステージが台風に巻き込まれても平気を装うシーンです。

このようなときにあっさりしているのが、辻野あかりの性格ですが、これを完璧主義、というよりは心理学的な視点から読み解くと少しおもしろい考察ができます。
それは、自分ができなかったことを忘れる、またはすぐに別の方向に移すことによって、自分の感情やプライドを守るような働きをしているのではないかということです。
先ほど、できないことを回避するという特徴や、完璧主義は自衛反応の1つという話を書きましたが、それと同じものではないかと考えることができます。
本人も「頑張るのって苦手なんですよね。農業って、頑張っても台風来たら一発アウトじゃないですか」(ぷちデレラTOP[1])や、「無駄に頑張っても、疲れちゃうだけなんで♪」[2]と言っています。

では、この諦観はどこから来たのでしょうか。
私は、やっぱりりんごの生産が大きく関わっていると考えます。
りんごの生産は、出荷高や品質が売り上げに直結します。
つまり、そこにこだわると、成果主義、完璧主義になるわけです。
その売り上げが生活に直結する以上、辻野あかりは父ちゃんとお母ちゃんから、少なくとも何らかの影響を受けているのではないかと考えています。
頑張ることが苦手なのは、辻野あかりが少なくとも成果主義ではあり、その頑張る過程に価値を見いだせていないからなのではないかと考えます。
だから、失敗や達成できなかったことが起こると、成果のない無価値状態に対する悲しみから脱出しようと、平気を装うのだと考えています。
とくに、ダメだった後に努力しても意味がないと思っているのは、一度ダメになってしまうと、翌年まで生産できないりんご農家の出身であるためではないかと考えています。

燃える灯りは冷めたりんごを温めるか

では、そんな状態に陥った人間を、他者が救うことはできるのでしょうか。
結論から言うと、私はできると考えています。
そして、そんな状態から救うことができるのは、他者しかいないとも考えています。
実際、今回のソロコミュでも、あかりを救ったのは、夢見りあむをはじめとする他のアイドルたちやプロデューサーでした。

ただ、裏を返すと自力では難しいと考えています。
それは、本人が過程に対して、価値がない、ゼロだと思っているからです。
自分が人生で培ってきた価値観がひっくり返って、価値が0から1に変わるためには、相当に大きな経験が必要でしょう。
やはりその価値を理解している人と交流するうちに見つけ出すしかないのだと思います。
その点、私は、あかりにたくさんの仲間がいてよかったなと思います。

やらないんじゃなくてやれない。言わないんじゃなくて言えない。泣かないんじゃなくて泣けない。

ステージが壊れてしまった後、あかりが平気を装い続けるシーンが続きます。
周りとしては、非常につらくなってしまうシーンなのですが、このときのあかりの感情について、考えていきたいと思います。

私が考えるに、おそらくこのとき、あかりは潜在的な感情ではLIVEをやりたくなく、それには気づかないでその理由を探しているように感じます。
少し矛盾しているように見えますが、あかりが完璧主義だと仮定して、その特徴を適用してみます。
すると、「セットが壊れた」→「完璧なLIVEはできない」→「そんなLIVEは見せたくない」→「LIVEはしたくない」→「LIVEがしたいという感情はいつも通り抑え込む」→「とにかく理由をつけたいけど周りに心配されたくない」→「平気を装う」となって、私は理解ができるのです。
自分がやりたくても、体がついてこないよう感覚なのだろうなと想像します。

以上のことから、やりたくない方に完全シフトしているならば、本来、やる方に傾くような言葉を発したくなくなっているはずなのです。
また、周りやプロデューサーに迷惑をかけたくないという思いもあったのならば、自分のすべての発言を前向きにしなければならないという気持ちもあったのでしょう。
実際、大丈夫な様を装っています。
ただ今回、唯一、砂塚あきらにだけは、「……実はちょっと、楽しみだな~なんて思ってたんだけど。」[2]と発言しています。
これは、あきらになら自分の弱み(完璧でないLIVEをすること)を漏らしても、自分を否定することはないと信頼している証だと、私には見えます。

その後、りあむが会場で叫んで控室へ連行された後に、泣いているような様子があります。
しかし、りあむのクソデカ感情に、あかりは反応しませんでした。
なぜなのでしょうか。
それは、上で述べた理由からLIVEを見せたくないことと、幼少期からの経験値で感情を抑え込むのは得意になりすぎているので、りあむが感情を爆発させて泣いても、あかりからするとどうして泣くのかが理解できないレベルなのだろうと考えます。
少し悲しいですが、そういうところが完璧主義の残酷さだったりします。

本当の自分、そこにある何か。

その後、プロデューサーからLIVEをしないかと言われますが、そこで本当の気持ちが分からないとあかりは言います。
さて、気持ちは分かっていないのはなぜでしょうか。自分の気持ちはないのでしょうか。

ここまでお読みの皆さんならお分かりかもしれませんが、実際にはLIVEをやりたい気持ちはあるだろうと考えます。
そして、分からない原因は、自分でその感情を抑え込んでいるからだと考えています。
自分が抑えている感情があるみたいだけど、それは無意識に抑えているものだし言いたくないという、ある種自己催眠の状態から出てきたのが、「わかんない」という言葉なのだろうと考えています。

その後、あかりはLIVEをして、ステージにある「何か」を感じてきました。
それは、必ず、彼女の成功体験の1つになったと思います。

おわりに

といった感じで、辻野あかりを完璧主義の視点から見るということをつらつらと書いてきました。
心理学なんて触れたことがなかったのですが、少し頑張ってみました。

今回、完璧主義が悪いという論調で書き続けてきましたが、必ずしもそうではありません。
やはり完璧に物事をこなすということは必要とされます。
ただ、その大きなメリットを持っていても、人生を生きる上では、デメリットの方がはるかに大きいのではないかと思ってしまいます。

まあ、
バンナムの人そこまで考えてないと思うよ」
ですけどね!!
辻野あかりがもっともーっと成長していくのを、これからもずっと見守っていきたいと思います。

ここでいくつか謝辞を。
Twitterで執筆を励ましてくださった方々、某アイマスサークルの先輩方、同期、こんな拙著を掲載してくださったサークルの先輩方、同期、執筆中にずっとVCで見守ってくれたいつものみんな、そして何より、私の担当であり推しである、辻野あかりちゃんに感謝したいと思います。
本当にありがとうございました!

それでは最後に、「#ユニット名募集中学会」の設立を宣言して、この論文(?)を終わりたいと思います。
みなさん、査読をよろしくお願いします。また、辻野あかりと山形りんごもよろしくお願いします。

ステージの上には甘いりんご。
これからもいっぱい実りますように。
——ato lash

参考文献

  1. バンダイナムコエンターテインメント, & Cygames. (2011–). アイドルマスターシンデレラガールズ. Mobage.
  2. バンダイナムコエンターテインメント, & Cygames. (2022). Sweet Apple on Stage. アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ ストーリーコミュ, 70.
  3. Hewitt, P. L., & Flett, G. L. (1991). Perfectionism in the self and social contexts: Conceptualization, assessment, and association with psychopathology. Journal of Personality and Social Psychology, 60(3), 456–470. https://doi.org/10.1037/0022-3514.60.3.456
  4. 古屋健. (2017). 大学生の学業遅延傾向に関わる性格特性について. 立正大学心理学研究所紀要, 15, 33–45.
  5. 大野木泉, 中村恵理, & 篠置昭男. (1992). 完璧主義の臨床心理学的研究 その1 : 日本版多面的完璧主義尺度の作成の試み(人格(1),口頭発表). 日本教育心理学会総会発表論文集, 167–. https://doi.org/10.20587/pamjaep.34.0_167

あとがき(無料公開にあたって加筆)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ato lashと申します。
まずは、辻野あかりさん、お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
これからもプロデュースしていくので、よろしくお願いします!んご!!🍎

閑話休題。この論文ライクな文章は、今年の夏にコミックマーケット100にて頒布したサークル誌に掲載したものです。
現在は、完璧主義というよりは、心理学的考察をした方がよかったのではないかと思っていますが、せっかく書いた文章なので公開しようかなと。
少し変わった視点の考察をご提供できていれば、幸いです。
ちなみに、完璧主義という点では、SideMの花園百々人さんの方が、私が挙げた点に近いかもしれません。個人的にとても解像度が高くて、非常に興味深いです。ぜひ会ってみてください。

また、「おわりに」に書きました「#ユニット名募集中学会」ですが、本日付で「#UNICUS学会」に名称変更します。今後とも、引き続きよろしくお願いします。

なお、冬のコミックマーケット101にも、3サークルに寄稿する予定です。こちらも、手に取っていただけると嬉しいです。あくまで予定ですが。
また、C100も含め、冊子の購入者限定特典も提供する予定ですので、以下からご覧ください。
本日、C100の分を更新しましたので、すでに見た方も、またのぞいていただけると嬉しいです。
halshusato.starfree.jp

ちなみに、個人的なプロジェクトも進めているので、またお出しすることができればいいなと思っています。

ということで、ato lashでした!またどこかで会いましょう!!

——〈Gartic Phoneで笑いすぎてお腹が痛い〉ato lash